見直しが必要

中日・井端弘和内野手(30)が27日、名古屋市内の球団事務所で契約交渉を行い、3500万円増の1億7500万円を保留した。今季はチーム唯一のフル出場で打率.323、12球団トップの得点圏打率.408と活躍したが、評価は予想をはるかに下回っていた。
(サンケイスポーツ)

素晴らしい働きをした選手がこのような評価を受けていることは非常に残念なことです。球団の言い分は、
「(アップ額は)どうしても1、2番打者では3、4番には勝てない。首位打者盗塁王を取るなら別だが」
ということですが、これはおかしな話です。1、2番の働き、または自己犠牲があってこそ3、4番の数字が良くなるものでしょう。少なくとも中軸の打点は1、2番の働きにかなり左右されるものです。
首位打者に関してもそう、チームの勝ちを考えた時に必ずしもある程度ヒットというものを捨てなければならない場面があります。犠打ならば数字的に良いのですが、犠打だけが自己犠牲ではありません。
数字も良いのですが、井端という選手は数字に表れてこない部分での貢献もかなりあると思います。こういう「地味な」(今年の井端に関しては数字的には地味ではありませんが)働きをする選手がこのような評価を受けていては、将来的に「わがままな」選手が増え、チームとして機能しなくなってしまいます。自己犠牲ができる選手がいかに必要かということは一時期の巨人が必ずしも優勝できなかったことを見れば明らかでしょう。
野球において「自己犠牲」というのは簡単なようでとても難しいものです。文字通り、ある程度自分の成績も犠牲になるのです。これは選手にとっては死活問題でしょう。もちろん、現場の監督はこういうものを評価するかもしれませんが、フロントが評価しなくては選手にとって悔しいでしょう。
別に中日が駄目になろうが知ったこっちゃないのですが、こういう選手に対する評価を球界全体で変えていく必要があるのでは、と思います。